夏目 漱石(なつめ そうせき)は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。
本名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。
金ちゃんと呼ばれてそうですよね!
代表作は『吾輩は猫である』『坊つちやん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』などです。
明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなりました。
肖像が野口英世に変更されてからも、しばらくは、「千円といったら夏目漱石」という認識が抜けませんでした。
夏目漱石のデスク
「漱石山房」書斎の漱石(1914年)です。大きな火鉢が目を引きます。
デスクはそんなに広くないですね。
ものすごい数の書籍が本棚に収まり切らず、床に積まれています。
結構分厚めの本が多いのは、辞書なのか、資料なのか、他の文豪の作品なのか気になります。
『吾輩は猫である』のモデルの黒猫は福猫だった
夏目漱石の名作『吾輩は猫である』は、このような書き出しで始まります。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」
ここから分かるように、この作品の主人公の「猫」には名前がありませんでした。
この小説モデルの猫がおり、夏目漱石自身が飼っていた黒猫だということですが、小説に登場する猫とおなじで名前はなく、猫、猫と呼ばれていたそうです。
夏目漱石の背中に乗ったり、子供たちと遊んだりしながら、可愛がられて幸せに暮らしたそうです。
夏目漱石自筆の「あかざと黒猫図」です。
小説『吾輩は猫である』のモデルとなった初代の猫から数えて、三代目の猫を描いたものといわれています。
漱石と猫の出会いは、結婚した夏目漱石の千駄木の家に子猫が迷い込んできたことから始まります。
夏目漱石の妻、鏡子は猫が好きではなかったため、家に入り込んでくる猫をそのたびに追い出していました。しかし何度つまみ出しても、猫は家の中に入り込んできます。
家に入ってくる猫に気づいた漱石は、妻鏡子に「置いてやったらいいじゃないか」と言い、それ以来、猫は漱石の家で暮らすことになりました。
この猫が福猫だったのです。
一見、全身が真っ黒の猫ですが、よく見ると、黒い被毛の中にも虎斑(虎のような模様)があり、さらに爪の先まで真っ黒な猫でした。
夏目漱石の家に出入りしていた按摩(マッサージ)のお婆さんが、この黒猫を見て「奥様、この猫は足の爪の先まで黒いので珍しい福猫でございます。飼っていれば家が繁盛いたしますよ。」と伝えたそうです。
福猫だと聞いた妻の鏡子は、猫のご飯に鰹節を乗せてあげるなどして、猫を大事に扱うようになったとのこと。
福猫の効果、それが発揮されたことは、皆さんご存知のとおりです。
夏目漱石は『吾輩は猫である』を発表し、一躍人気作家の仲間入りを果たしたのでした。
千駄木の自宅です。このお家に猫が迷い込んできました。
お花も生けてあり、やっぱり本棚はビッシリです。
夏目漱石の小説「それから」では花と小説の展開が密着しています。
八重椿、夜桜、君子蘭、スズラン、百合などが登場します。
執筆中に机の花を愛でて、次の展開の花は何にしようかと考えていたかもしれないです。
夏目漱石のトレードマーク髭へのこだわり
漱石のトレードマークは、インテリジェンスを感じさせる立派な髭。
彼が髭を生やし始めたのは、帝国大学文科大学を卒業後だったとされています。
明治26年、英語教師となっていた漱石は、小石川伝通院のそばの法蔵院に間借りしていました。
そこの住職は占いもやっていて、「髭を生やせば運が開ける」と言われたそうです。
当初はひげが伸びるのに任せていたようですが、イギリス留学から帰ると、西洋人風に髭の両端をピンとはねあげるようになります。
毎朝の洗顔後、しっかりと固めた髭の端をはねあげるのが習慣化していました。
しかし、胃潰瘍で入院したのをきっかけに、髭の手入れをする気力が失せてしまったのか、はねあげた髭の先を切り落とすようになります。
結果的に、かつての千円札でおなじみの顔立ちになったようです。
髭の先端の形ひとつで印象が変わるものですね!
ダンディな髭は色気を感じるので好きです。
夏目漱石の名言
あせってはいけません
ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です
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