マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)は、アメリカ合衆国の女優、モデルです。
本名はノーマ・ジーン・モーテンソン。
戦時中、1944年に工場で働いているとき軍隊所属のカメラマン(第1映画部隊)の目にとまり、ピンナップモデルとしてキャリアを積み始めました。
マリリン・モンローと孤児院
私たちが目にしているモンローの姿と、この話を聞くとシンデレラストーリーのように思えますよね。
しかし、モンローの母親は精神病患者で、患者用の保護施設を出たり入ったりしていたために、モンローは大人になるまでに、12近くもの里親元や孤児院をたらい回しにされたといいます。
マリリン・モンローのブロンド髪
マリリン・モンローという芸名でデビューし、『お熱いのがお好き』や『紳士は金髪がお好き』といったヒット作に出演し、『プレイボーイ』誌創刊号の表紙を飾った後、彼女はトップ女優の仲間入りを果たしました。
マリリン・モンローというと、金髪でスタイル抜群で色気があふれ出ているイメージだと思います。
モンローが演じたのは「賢くはないが溢れるばかりの性的魅力をもつ」キャラクターが多く、そのため「ダム・ブロンド(Dumb blonde)」、意味は「ブロンドは暗い髪色の者より頭が悪い」というステレオタイプに基づくキャラクターイメージを確立したのです。
女優冥利には尽きそうなエピソードですが、有名人は演じたキャラクターでプライベートも見られそうです。メディアのチカラは強いです。
マリリン・モンローのデスク
いくつかの書籍と雑誌があり、電話が黒電話のモンローのお部屋。
昔の機器は今実際に使用するとなると不便なことも多いかもしれませんが、愛おしさを感じるものでもあります。古き良きもの。
ダイヤル式の電話が懐かしいです。
知っていましたか? ダイヤル式の電話は、最後まで回し切らないと繋がらないんですよ!
話が逸れました。
とても寛ぎやすそうな大きなソファで、読書ライトもあり、ここで台本を覚えていたのかもしれません。
なんでしょう。たたずむ姿がもう美しいです。
伏し目が美しい人には男女問わず惹かれます。
ちょっと惹かれるポイントが変わってるのかもしれませんが。笑
マリリン・モンローの最期
女優として有名になっていった彼女は薬物乱用、うつ病、不安に悩まされていました。
1962年8月5日、ロサンゼルス郊外のブレントウッドにある自宅の寝室で全裸で死亡している所をメイドが発見しました。
36歳でした。
死の直後、マスコミから「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡りました。
葬儀は元旦那さんのディマジオが取り仕切り、参列者は生前にモンローの世話などをしていたごく一部の関係者など約30名の小規模な葬儀でした。
マスコミは一切シャットアウトされ、ハリウッドの映画関係者は1名も呼ぶことはありませんでした。
マリリン・モンローを一途に愛したジョー・ディマジオ
彼女の二回目の結婚のお相手が元大リーグのスーパースター、ジョー・ディマジオです。
ディマジオも二回目の結婚でした。
ディマジオは自身が亡くなるまでモンローについてのコメントは控えていました。
「ある女性誌が、貴方が話してくれたら5万ドル払うと言っているが」と尋ねられた時も
「世の中には金にかえられないものがある。それは愛の思い出だ」と即座に答えたといいます。
息を引き取ったモンローを前に「愛している」と声をかけ続け、涙を流したと伝えられています。
また、モンローの死後20年にわたって週3回、彼女の墓に赤いバラ(品種:アメリカン・ビューティー)を送り続けたのです。
ディマジオは離婚後もモンローを一途に愛し、晩年は頼ってきた彼女の心の支えとなり、彼はマリリンの死後独身を貫きました。
非常に深い愛をモンローに抱いていて死後もその愛を注いでいたことがわかります。
幼少期の孤児院などをたらい回しにされた経験から、常に愛を求めていたといわれているモンローですが、離婚後もずっと愛されていたことが尊いことだと、生きているときに心の芯で感じれていたならいいなと思いました。
夫妻が日本を訪れていることをご存じでしょうか。
1954年2月1日、読売ジャイアンツの招きもあり、新婚旅行を兼ねてボーイング377で日本を訪れ、東京国際空港で大歓迎を受けました。
夫妻は東京の帝国ホテルに宿泊し、3週間日本に滞在し、東京、静岡、福岡、広島、大阪とまわりました。
ディマジオが福岡で松竹と国鉄の選抜選手、広島で広島カープ、大阪で阪神タイガースの野球指導をおこないました。
リアルタイムで知らないマリリン・モンローのため、とっても遠い存在の人のようですが、日本を訪れていることを知るとすこしリアルさを感じます!
マリリン・モンローが愛した香水はシャネルN°5
マリリン・モンローは雑誌マリ・クレールのインタビューの際に、こう答えています。
記者「寝るときに何を着ているの?」
モンロー「シャネルの香水N°5だけ」
このことからマリリン・モンローといえばシャネルN°5というイメージが定着したほどの愛用っぷりだったことがわかります!
マリリンモンローの名言
お金が欲しいんじゃない
ただ、素晴らしい女になりたいの
私はこれまでの人生でずっと「私は愛されない人間なんだ」と思ってきたの
でも私の人生にはそれよりもっと悪いことがあったと、はじめて気がついたの
私自身、心から人を愛そうとしなかったのよ
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